写真整理(7)――きっかけ [フォト☆スクラップ]
今週も、
写真アルバムの記事に集中します(^v^)
今日はまず、
たびたび書いてしまいそうになる、
「写真整理を始めたきっかけ」を、
いま一度まとめて書いておこうと思います。
私は写真を撮るのは大好きなんだけど、
この10年、
アルバム作りにはまったく手を出してきませんでした。
学生時代のときにはやっぱり時間があったせいか、
行事とか旅行とかで撮るたびに、
いろいろラクガキしたり切って貼ったり、
楽しみながらアルバムを作るのが好きでした♪
なのに、
育児が始まってからはさっぱり。
長男が生まれるときに主がデジカメを用意してくれていて、
そこからデジカメ生活が始まり、
被写体として最高の、赤ちゃんを相手に、
毎日毎日たくさん撮りました。
私の育児には、カメラは欠かせないものでした。
デジカメになって、
いろいろな点で便利になりましたが、
プリントしないでただただ撮り貯めていくのみという、
ありがちなパターンに陥っておりました。
ところで、
私には4人の子どもがおります。
育児を続けていく上で、
ずっと心がけようと思っているのが、
なるべく、全員に平等に愛を注ぐこと。
わけへだてなく接し、
不公平のないように。
こども増えるたびに誓ってきたことは、
1人ずつに対して、
「愛情が人数分の1にならないように」ということ。
2人になったとき、
愛情が1/2になるのではなく、2倍の愛情を。
3人になったとき、
1/3になるのではなく、3倍の愛情を。
4人になったときにも、
1/4になるのではなく、4倍の愛情を持つ母親になろうと、
きっとそれができる自分になれるから、
4人の子が来てくれたのだと信じようと思ったのです。
そうは言っても、
簡単にできるものではありません。
相手のいることなので、
それぞれ子供たちが何を思っているのか、
感じることや、心の中にはやっぱり不満もあるでしょう。
私も大層なことを誓いつつも、
うまくいっていると自信を持って言うことはまだできません。
では形になるものはどうだろうか?
やっぱり上の子のほうが、
なんでも新しい物を買い、
いち早く新しい物に触れて、
下の子にはお下がりを、
使い古しの物を持たせることも多くなってしまいます。
でも仕方のないことです。
こどもはこどもで、
それを受け入れなければならない環境を、
それぞれ選んで生まれてきたのではないか。
受け入れられる強さを持った子が、
その環境に生まれてくるのではないか。
受け入れることが生まれてきたときからの、
使命なのではないか、と思ったりもします。
そこはこどもの力に頼るばかりで。
親が愛情として、
目に見える形で示せるもののひとつに、
生まれてから生きている間の記録をつけてあげることもあると思い、
育児日記などにもチャレンジしましたが、
やっぱり途中で挫折したり、
ちゃんと書けているのは長男は1年、
次男以下は1ヶ月程度で終わってしまいました。
そのほかには写真があると思います。
それでも、
兄弟で写真を撮る機会を平等に、
撮った写真の枚数も平等にというのは難しく、
やっぱり最初の子は多かったり、
下にいくにつれ写真を撮る余裕やら、
時間的なもの精神的なもの、
撮ってあげようという気持ちもどんどん削られていき、
やっぱり同じように写真を撮るというのは難しくなりました。
でも、
私はさいわい写真が好きだったので、
途中、何度かデジカメが壊れても、
あきらめることなくカメラを持ち続け、
10年間撮り続けることができました。
いまとなっては、
とにかくそれができたことだけは救いだったかもしれません。
なんにしろ兄弟を平等に育てるというのは、
大変なことですが、
せめて写真のアルバムをこども1人1人に、
スペシャルな1冊を作ってあげようと、
それだけは数年前から考えていました。
自分が主人公の特別な1冊。
それぞれが育ってきた数年間の間に、
兄弟で似ていることもあるし、
兄弟なのにまったく違う個性を見せてくれた子もいます。
育児は大変だけど、
やっぱりこどもは、数がいればいるだけ、
楽しいことも増えます。
そういうそれぞれの成長や思い出を、
目に見える形でしっかり残し、
忘れないように記録したいと思いました。
自分のためにもそうしたかったし、
こどもにもきっと喜んでもらえると思って。
それでも、
日々の生活に追われ、
写真を整理する時間なんてありません。
忙しさを理由に後回しにしてきました。
Pcの中にもどんどん取り込んでいくのみ。
プリントもしたりしていなかったり、
時期によってバラバラでした。
PC内ではとにかく日付順にまとめていくのみ。
プリントやCDはとにかく一箇所に収納しておくのみ。
以前にできていたのはそれが精一杯のことでした。
なんとなく、写真の整理とか、
アルバムの整理とかって、
年をとってからゆっくり。。とか、
老後に・・なんて思いがち。
実際、
ウチの両親なんかもいつもそんなことを言っています。
小さいときのアルバムは作ってくれていますが、
いつからか滞るようになりました。
昔ながらの分厚い「フエルアルバム」のようなものに、
どんどん貼っていくので、収納のことなども考えると、
すべてをやりきることはできなかったのでしょう。
現在はデジカメで撮影している父も、
過去に撮りためた写真やネガは、
袋詰めにしたり箱詰めしたりしたまま、
手をつける時間はないようです。
いまや外からは見えませんが、
PCの中だって膨大な量のデータが貯まっていることでしょう。
母はそれらの作業は老後にやるというようなことを、
つねづね言っていましたが、
老後なんていっても、
別にヒマになるわけじゃないらしいことを、
両親を見ていて気づいてしまいました。
子どもが育ったって、
育児が終わったって、
子どもはいつまでたっても子ども。
孫だって生まれたら、
おじいちゃんおばあちゃんになったって忙しいんだ。
人生にはヒマなんてないってことに気づいて。
それに、
いろんな面でゆとりのある老後が訪れる保障はないし!
時間が過ぎれば過ぎるほど、
記憶だって薄れていく。
人生の限りがいつ訪れるのかだって分からないし、
人生がヒマだったら、
それはそれでつまらないでしょ。
結局、
ヒマを楽しむことなんてないのも事実で。
ヒマがあれば、それを埋めるように何かをするし、
本当にしなければいけないことがあるなら、
どんなに忙しくても死にそうでも、
睡眠を削ったり、
時間を節約したりして、
どうにか時間を捻出してやりくりしたらいいんだよね!
10年分の貯まった写真を見て、
「いつかやろう」と思っているだけではダメだったんだと、
反省したの。
いつか整理しようと貯め続けていたら、
あっというまに時間が過ぎてしまった。
こどもが大きくなったら・・なんて思ってたのに、
次の子が生まれてしまった。
きっと子どもが大きくなったとき、
働きに出てまた時間がなくなってるかもしれないし、
それじゃいつまでたってもできないだろうって、
「いつかきっとできる」という気持ちは持てなくなっていたの。
逆を考えるならば、
きっとこれまでのいつかでも、
やろうと思えばできていたはず・・・
いつか、ではダメなんだな。
そんなことはずっと知っていたの…
「いつか」というものは、永遠にこないものなのです。
自分の力で始めなければね。
「いつか」は「今日」であると、決めなければね。
「いつかやろう」って思うことは、
「今日でもきっとできること」なんだって。
それをやってこなかったのだから、
どんなに忙しくても、
いまやっておかないと。
だってまたこの先10年も貯めるかもしれない。
でもそんなわけにはいかないのよ!
自分のためにも、
子どものためにも、
いまがやるべきときなんだと、決意したのです。
そこから始まりました。
それは今年の1月のことでした。
1月って、
何かを決意したり、
「今年はコレをやる!」って、
計画を立てやすいよね。
お正月に思ったことなんて、
1年通して貫徹できたことっていままでないんだけど、
今年こそは、
掲げた目標を完遂することができました。
しかも、1年が終わるより早く。
こんなに充実した年って、
ほんとなかったかも。
ほかに、
思い通りにならなかったことも多いのだけどね。
では次の記事で、
1月から始めた作業をまた振り返ります♪
長々と続きますが、
お付き合いください(^ー^)
写真アルバムの記事に集中します(^v^)
今日はまず、
たびたび書いてしまいそうになる、
「写真整理を始めたきっかけ」を、
いま一度まとめて書いておこうと思います。
私は写真を撮るのは大好きなんだけど、
この10年、
アルバム作りにはまったく手を出してきませんでした。
学生時代のときにはやっぱり時間があったせいか、
行事とか旅行とかで撮るたびに、
いろいろラクガキしたり切って貼ったり、
楽しみながらアルバムを作るのが好きでした♪
なのに、
育児が始まってからはさっぱり。
長男が生まれるときに主がデジカメを用意してくれていて、
そこからデジカメ生活が始まり、
被写体として最高の、赤ちゃんを相手に、
毎日毎日たくさん撮りました。
私の育児には、カメラは欠かせないものでした。
デジカメになって、
いろいろな点で便利になりましたが、
プリントしないでただただ撮り貯めていくのみという、
ありがちなパターンに陥っておりました。
ところで、
私には4人の子どもがおります。
育児を続けていく上で、
ずっと心がけようと思っているのが、
なるべく、全員に平等に愛を注ぐこと。
わけへだてなく接し、
不公平のないように。
こども増えるたびに誓ってきたことは、
1人ずつに対して、
「愛情が人数分の1にならないように」ということ。
2人になったとき、
愛情が1/2になるのではなく、2倍の愛情を。
3人になったとき、
1/3になるのではなく、3倍の愛情を。
4人になったときにも、
1/4になるのではなく、4倍の愛情を持つ母親になろうと、
きっとそれができる自分になれるから、
4人の子が来てくれたのだと信じようと思ったのです。
そうは言っても、
簡単にできるものではありません。
相手のいることなので、
それぞれ子供たちが何を思っているのか、
感じることや、心の中にはやっぱり不満もあるでしょう。
私も大層なことを誓いつつも、
うまくいっていると自信を持って言うことはまだできません。
では形になるものはどうだろうか?
やっぱり上の子のほうが、
なんでも新しい物を買い、
いち早く新しい物に触れて、
下の子にはお下がりを、
使い古しの物を持たせることも多くなってしまいます。
でも仕方のないことです。
こどもはこどもで、
それを受け入れなければならない環境を、
それぞれ選んで生まれてきたのではないか。
受け入れられる強さを持った子が、
その環境に生まれてくるのではないか。
受け入れることが生まれてきたときからの、
使命なのではないか、と思ったりもします。
そこはこどもの力に頼るばかりで。
親が愛情として、
目に見える形で示せるもののひとつに、
生まれてから生きている間の記録をつけてあげることもあると思い、
育児日記などにもチャレンジしましたが、
やっぱり途中で挫折したり、
ちゃんと書けているのは長男は1年、
次男以下は1ヶ月程度で終わってしまいました。
そのほかには写真があると思います。
それでも、
兄弟で写真を撮る機会を平等に、
撮った写真の枚数も平等にというのは難しく、
やっぱり最初の子は多かったり、
下にいくにつれ写真を撮る余裕やら、
時間的なもの精神的なもの、
撮ってあげようという気持ちもどんどん削られていき、
やっぱり同じように写真を撮るというのは難しくなりました。
でも、
私はさいわい写真が好きだったので、
途中、何度かデジカメが壊れても、
あきらめることなくカメラを持ち続け、
10年間撮り続けることができました。
いまとなっては、
とにかくそれができたことだけは救いだったかもしれません。
なんにしろ兄弟を平等に育てるというのは、
大変なことですが、
せめて写真のアルバムをこども1人1人に、
スペシャルな1冊を作ってあげようと、
それだけは数年前から考えていました。
自分が主人公の特別な1冊。
それぞれが育ってきた数年間の間に、
兄弟で似ていることもあるし、
兄弟なのにまったく違う個性を見せてくれた子もいます。
育児は大変だけど、
やっぱりこどもは、数がいればいるだけ、
楽しいことも増えます。
そういうそれぞれの成長や思い出を、
目に見える形でしっかり残し、
忘れないように記録したいと思いました。
自分のためにもそうしたかったし、
こどもにもきっと喜んでもらえると思って。
それでも、
日々の生活に追われ、
写真を整理する時間なんてありません。
忙しさを理由に後回しにしてきました。
Pcの中にもどんどん取り込んでいくのみ。
プリントもしたりしていなかったり、
時期によってバラバラでした。
PC内ではとにかく日付順にまとめていくのみ。
プリントやCDはとにかく一箇所に収納しておくのみ。
以前にできていたのはそれが精一杯のことでした。
なんとなく、写真の整理とか、
アルバムの整理とかって、
年をとってからゆっくり。。とか、
老後に・・なんて思いがち。
実際、
ウチの両親なんかもいつもそんなことを言っています。
小さいときのアルバムは作ってくれていますが、
いつからか滞るようになりました。
昔ながらの分厚い「フエルアルバム」のようなものに、
どんどん貼っていくので、収納のことなども考えると、
すべてをやりきることはできなかったのでしょう。
現在はデジカメで撮影している父も、
過去に撮りためた写真やネガは、
袋詰めにしたり箱詰めしたりしたまま、
手をつける時間はないようです。
いまや外からは見えませんが、
PCの中だって膨大な量のデータが貯まっていることでしょう。
母はそれらの作業は老後にやるというようなことを、
つねづね言っていましたが、
老後なんていっても、
別にヒマになるわけじゃないらしいことを、
両親を見ていて気づいてしまいました。
子どもが育ったって、
育児が終わったって、
子どもはいつまでたっても子ども。
孫だって生まれたら、
おじいちゃんおばあちゃんになったって忙しいんだ。
人生にはヒマなんてないってことに気づいて。
それに、
いろんな面でゆとりのある老後が訪れる保障はないし!
時間が過ぎれば過ぎるほど、
記憶だって薄れていく。
人生の限りがいつ訪れるのかだって分からないし、
人生がヒマだったら、
それはそれでつまらないでしょ。
結局、
ヒマを楽しむことなんてないのも事実で。
ヒマがあれば、それを埋めるように何かをするし、
本当にしなければいけないことがあるなら、
どんなに忙しくても死にそうでも、
睡眠を削ったり、
時間を節約したりして、
どうにか時間を捻出してやりくりしたらいいんだよね!
10年分の貯まった写真を見て、
「いつかやろう」と思っているだけではダメだったんだと、
反省したの。
いつか整理しようと貯め続けていたら、
あっというまに時間が過ぎてしまった。
こどもが大きくなったら・・なんて思ってたのに、
次の子が生まれてしまった。
きっと子どもが大きくなったとき、
働きに出てまた時間がなくなってるかもしれないし、
それじゃいつまでたってもできないだろうって、
「いつかきっとできる」という気持ちは持てなくなっていたの。
逆を考えるならば、
きっとこれまでのいつかでも、
やろうと思えばできていたはず・・・
いつか、ではダメなんだな。
そんなことはずっと知っていたの…
「いつか」というものは、永遠にこないものなのです。
自分の力で始めなければね。
「いつか」は「今日」であると、決めなければね。
「いつかやろう」って思うことは、
「今日でもきっとできること」なんだって。
それをやってこなかったのだから、
どんなに忙しくても、
いまやっておかないと。
だってまたこの先10年も貯めるかもしれない。
でもそんなわけにはいかないのよ!
自分のためにも、
子どものためにも、
いまがやるべきときなんだと、決意したのです。
そこから始まりました。
それは今年の1月のことでした。
1月って、
何かを決意したり、
「今年はコレをやる!」って、
計画を立てやすいよね。
お正月に思ったことなんて、
1年通して貫徹できたことっていままでないんだけど、
今年こそは、
掲げた目標を完遂することができました。
しかも、1年が終わるより早く。
こんなに充実した年って、
ほんとなかったかも。
ほかに、
思い通りにならなかったことも多いのだけどね。
では次の記事で、
1月から始めた作業をまた振り返ります♪
長々と続きますが、
お付き合いください(^ー^)
ご愛読ありがとう♪♪♪*
読者になってね(゜v≦)^☆
とみっちさん、
nikiさん、
マチャさん、
「nice!」をありがとうございました(^^)
by emixmamy (2011-07-26 07:31)